坂野開さんインタビュー −中編−「嫌になってやめていく人は何人も見ました。ほんと何人も。」

Yoshi

こんにちは、Yoshiです!

当ブログのコンセプトでもある 、“柔術と旅する”人に焦点を当てる取材企画・柔術旅人インタビュー。

記念すべき一回目は、タイ、ブラジル、アメリカと渡り歩き、各地で柔術に励んできたトライフォース東中野の坂野開さん@ikanokasa)にお話をうかがいました。

仕事に追われる生活から抜け出して海外へ飛び出し、“柔術”“旅”を通して各国の文化や生活観の違いを肌で感じてきた坂野さんですが、恵まれた日本とは違った過酷な環境の中では柔術以外の部分でも得られるものが多かったそうです。

全三編、今回は各国での生活や練習内容をより掘り下げてうかがった[中編]です。ぜひ最後までご覧ください。

坂野開さんのプロフィール

柔術旅人:坂野 開

出身

神奈川県

仕事

トライフォース東中野スタッフ

趣味

柔術

所属

トライフォース東中野

帯色

紫帯

柔術歴

6年

主な戦績

SJJJF第3回全日本柔術選手権
Male Blue Adult Open Light 優勝UNRIVALED ALTANA 勝利

スポーツ歴

サッカー

SNSアカウント

XInstagram

柔術を始めて
嬉しかった出来事

試合で始めて勝ったとき

※2023年10月現在

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目次

初海外となった観光大国、タイ

プーケット/タイガームエタイ

まずはタイでの生活について教えてください。

タイ行ったときは安いLCCで行って、バンコクを経由してプーケットのタイガームエタイに行きましたね。泊まる場所決めてなかったんですよ。で、タイガームエタイの周辺には一本の道ができていて、その一本の道を沿うように格闘技ジムとかフィットネスジムとか、格闘技のウェアのショップとかが乱立しているんですけど、移動距離があるからみんなバイクを借りるんですよね。そのバイクを借りるところの上が空いているって事前に聞いていたので、借りるついでにそこに泊まりました。普通のホテルじゃなくて、間貸ししているような部屋だったんですけど、空きがあったからそこに安く泊まれた感じです。

宿は決めていなかったとのことですが、当日決めたということでしょうか?

そうです、でもその情報は誘ってくれた山田さんから聞いていたから、空いてる?って聞いたら空いていたのでそのまま泊まりましたね。

それ初海外ですよね?宿を決めずに行くのはなかなか肝がすわっている気がします。

まぁ(笑)でも知っている人がいたから全然怖くはなかったですね。その宿からタイガームエタイはバイクで2分くらい。さっきも言ったようにタイガームエタイまでは一本の道が続いているんですけど、ファミリーマート、レストラン、プロテインシェイクのお店とか、特にフィットネス系のお店が多かったですね。とにかくファミリーマートがめっちゃありました。

では続いて練習内容について教えてください。

月曜と水曜は、昼がコンディショニングでサーキット系、バトルロープとかケトルベルとかアサルトバイクとかやるクラスで、それがすごくハードでした。そのあとはレスリングクラスに出て、最後夜柔術クラスに出てって言う感じでしたね。火曜と木曜は昼がノーギ、金曜は地獄の坂ダッシュ。あと夜クラスは同じです。土日は土曜の朝だけマットスペース使って軽くロールして終わりで、あとは遊んでましたね。

まさに“魔窟”、ブラジル

サンパウロ/バルボーザ道場

続いてブラジルでの生活について教えてください。

まずブラジル渡った時、例の如くホテルは決めていなくて(笑)どうしようと。そしたらバルボーザ先生が「泊まる場所ないのか」と。で、ちょうど近くに宿を経営している人がいたから、バルボーザ先生がこいつ泊めてやってと言ってくれて、泊めてもらった感じですね。

やはり初日に宿を決めるんですね(笑)しかし面倒見が良いですよね、来たばかりの人に宿も紹介してくれるなんて。

そうですね、もちろん英語もポルトガル語も話せないし、その時はバルボーザ先生の日本語が頼りでしたね。

マルコ・バルボーザ先生はオリンピック候補として天理大に柔道留学されていた経験があります。

ではそこに二ヶ月半住みながら道場に通ったと。

というわけでもないんですよね(笑)そこから普通に練習に参加するようになったんですよ。コンペ練とか。コンペ練は黒帯10数人、茶帯10数人、紫ちょっと、青2,3人…なので、超しんどいですよね、80、90kgのでかいやつばっかりなので(笑)マジかよ超つらいじゃん…みたいな生活を2,3週間したときに、日本人だったから練習の休憩役によく使われていたんですけど、一人僕が日本人というのを聞いて反応した奴がいたんですよ。え、日本人なの?みたいな。それが日本に十何年住んでいた日系ブラジル人のミヤシタさんという人で。

ミヤシタさんの家から見る景色

で、その人が日本語話せるからすごく仲良くなって、今度うち来なよって言われて、もっと安い値段でいいからってことでそこに泊まることになりました。バルボーザ道場の人たちはちょっと裕福な人たちが住んでいるところにあるんですけど、ミヤシタさんの家の辺りはまぁまぁなスラム街の入り口みたいなところで(笑)あと道場からちょっと遠くもなったので、それからはバルボーザ行って、ミヤシタさんの道場にも行ってという感じでした。

その人も道場を持っていたんですね。

そう、コンペ練はみんなジム持っているんですけど練習のために集まっているって感じでした。トライフォースのコンペ練と同じイメージです。

ちなみにスラム街での生活は怖くはなかったのでしょうか?

いやそんな怖くはなかったですけど、野犬が一番怖かったですね。それっぽいスーパーとかは普通にあってたまに買いに行っていたし、あとはたまに銃撃戦があったくらいで。

銃撃戦…(笑)、音が聞こえてきたりするものなんですか?

全然ありましたね。

サンパウロ怖いですね。

場所によっては治安が悪かったですからね。普段ミヤシタさんのバイクの後ろに乗せてもらって練習に行っていたんですけど、あるときミヤシタさんが用でいけないってなったから、そのときはバスと電車を使ってバルボーザ道場まで行こうとしたんですよ。そしたら途中でお腹痛くなって、これもれるなと思って駅のトイレに向かったんです。トイレまで電灯もなくて薄暗くて、これやべぇな…と薄々思いながら。そしたら入った瞬間トイレに浮浪者が15人くらい寝そべっていて。それ見た瞬間お腹痛いの治って(笑)とりあえずジムまで行きました。

なるほど、身の危険を感じたわけですね…(笑)では、続いて練習内容について教えてください。

コンペ練参加時

昼はコンペ練、夜は普通のクラス。ただそのときはタイミングが悪くて、バルボーザ先生がセミナーでよくヨーロッパに行っていたから、あまりバルボーザ先生のクラスに出られなくて。なので、ミヤシタさんと住み始めてからは夜はミヤシタさんの方のジムに行ったりしていましたね。バルボーザ道場のコンペ練は平日毎日あって、クラスは日曜が休みでした。

ブラジルは本当に魔窟って感じでしたね。よくわからない黒帯のおじさんがめちゃくちゃ強いんですよ。マジでわけわかんないほどモンジバカ極められましたから。いい歳いっているはずなんですよ、それでも若い黒帯ボコしたりするから。当時53歳のバルボーザ先生も若い黒帯ボッコボコにしてて、あれはちょっと見ていて引きましたね(笑)

とにかくブラジルはみんなでかくて、層の厚さもすさまじかったですね。

体感としては年を取ったマスター世代の黒帯の方が強かったのでしょうか?

いや、あっちはわけのわからない仙人みたいな黒帯が何人もいるんですよ。そういう仙人はアダルト黒帯でもボコってましたね。あとは、若手でも強い選手は三人いたんですよ。あまり表舞台に出てきていないけど。一人は黒人の選手で、ビザの関係でアメリカに行けないとか、、、そんな感じだった気がします。その人が頭抜けていて、一番強かったですね。レアンドロ・ロとかとよく練習していたみたいで。あとはマテウス・オンダなんですけど、ちょうどアメリカへ行っていたみたいで会ってなくて。あと一人はザ・ブラジル人みたいな陽気な人がいて、その人も強かったですね。

有名な選手とかではなく?

そうですね、マテウス・オンダは別としてあとは日本には伝わってきていないけどブラジルでは勝ちまくっているような選手でしたね。ブラジルはそういう選手が多いんですよ。日本やアメリカには伝わらないけど化け物みたいな強さの人たちが多い。マナウスもそうでしたね。さっきの黒人の選手みたいにビザの関係とかで国外で活躍できない選手もいるかもしれないし、あと特にマナウスの選手はお金がなくて出れないだけ、みたいな人もいましたね。

私はチャンスの少ないマナウスからやってきました。

私は今の地位を得るために懸命に戦ってきました。

私の旅はここで終わりではなく、まだ始まったばかりです。

引用元:ブラジルブログ −【ニュース】ミカ・ガウヴァオン、ドーピング陽性により1年間の出場停止に【ブラジリアン柔術】

ミカ・ガウヴァオンドーピング陽性発覚時の声明

日本では実力があれば教則を出したりセミナーをやったりする選手が多いですが、あちらでは強い選手が多すぎて埋もれてしまうということでしょうか。

そうでしょうね、あとは経済的なところだったり、お金に繋げるのがあんまりうまくないんじゃないですかね。真面目じゃないから。逆に真面目な人はうまくいってますよね、それこそバルボーザ先生だったりミヤシタさんだったり。ミヤシタさんは日本育ちですごく真面目だから。

性格の問題的なところもあるんですね。ちなみにブラジルの道場は先生の柔術が絶対というイメージもあるのですが、その点はどうでしたか?

バルボーザ道場は、まぁバルボーザ流だからプレッシャーパスがすさまじいプレッシャー柔術、、、なんですけど、あそこって元々TT柔術だったんですよ。それをバルボーザ道場に変えてて。だから元々TT柔術にいた人もいたせいか、スタイルはプレッシャー系かそれ以外かで大きく二分されていましたね。でもみんなオールマイティって感じで。とにかくバルボーザ先生は化け物でした。プレッシャーパスで首が飛んでいくかと思いましたもん。

バルボーザ先生の弟子、小林先生とスパーした経験があるのでなんとなく想像はできます。ちなみに坂野さんは同じ飛翔塾だった頃小林先生とスパーされた経験がると思いますが、お二方を比べて違いはありましたか?

教則「伝説の脇さしパス」で知られる飛翔塾HMDの小林先生と

プレッシャーのかけ方の違いがありましたね。小林先生はトライポットパス的な角度で、バルボーザ先生は低空飛行って感じでした。下からすり上げてくるみたいな。

確かに小林先生自身はバルボーザ先生よりムリーロ先生のやり方がしっくりきたので参考にしたと仰っていました。ちなみにそのあと行くことになるユニティ柔術ではムリーロ先生とスパーしましたか?

いや、やっていないですね。確か怪我をしていてスパーリングに入ってこなくて。

ちなみにちょっと話はそれますが、早川先生とバルボーザ先生も試合をしていたみたいですね。

え、どっちが勝ったんですか?

早川先生です。

……。

すげぇな…。早川先生強すぎだろ…(苦笑)。

早川先生とバルボーザ先生の試合

マナウス/マナウス道場

では続いてマナウス滞在時の生活について教えてください。

マナウスはそれこそ本当に魔窟というか巣窟というか…。ちょうどマナウスに行ったときはミカ・ガウヴァオンが出てきた頃で、確かまだ緑帯とかで黒帯の腕をへし折ったヤバい奴がいると噂になっていたときですね。噂はリアルタイムで聞いていたけど、それが後のミカだとはその頃は知りませんでした。先生が行っていたジムは近くになかったから、ホテルから出て適当に歩いていたらたまたま柔術ジムを見つけたので、ビジターとして一週間通いました(笑)

神の子と名高いミカ・ガウヴァオン

ちなみに何と言うジムでしょうか?

なんだったかな…、思い出せないなぁ…。なんかADCCの盾とかもありましたけどね。(スマホで調べる)あ、マナウス道場ですね。そのマナウスでの練習もすっごくしんどくて。まず暑さがしんどくて、でマット運動もめっちゃ長くて。もうマット運動だけでヘロヘロになりましたもん。そのあとはテクニックで、すごくよかったですね。そして最後はスパーリング。みんな激強でした。よくわかんない紫帯とかが。そんな人数も多くなくて、帯的には白から黒までまんべんなくいましたね。

日本ではマスター世代の白帯が比較的多い印象ですが、ブラジルのジムは若い白帯が多いのでしょうか?

若い子が多かったですね、おっちゃんの白帯も普通にいましたけど。バルボーザ道場もマナウス道場も。というかそもそもクラスの人数から違いましたからね。日本だと10人超えたら多い方って感じですけど、あっちは普通に30人とかいましたもん。それについては後で行くアメリカもそうで、デイジーフレッシュはいつも30人超くらい。ユニティについては40人以上はいましたからね。

ちなみにブラジルでは大会には出なかったのでしょうか?

出ていないですね、青帯になったばかりだったというのもあるし、そもそも最初海外にいったときは旅行気分だったので。でも出なかったのはちょっと後悔しています。

効率的な練習と大会運営が印象強い米国

ニューヨーク/ユニティ柔術

ユニティでも4日ほど練習したとうかがいましたが、どのようなジムでしたか?

ユニティはトップ選手は強かったですけど、普通の会員さんはそんなに強くなかったですね。ニューヨークということもあってか、なんか良いところの生まれの人なんだろうなって人が多かったです。ペア組んだ人でアジア系のアメリカ人の人がいたんですけど、雰囲気からもうお金があって余裕がある感じが伝わりましたね。

なるほど、会員でもガチの人が多いブラジルに比べエンジョイ勢が多かったのですね。

そうですね、すごく楽しそうにやっていました。練習は普通にきつかったですけどね(笑)

どんな練習内容だったのでしょうか?

ノーギのコンペ練に出たんですけど、まずはペアでずっとドリルでした。スタンディングのドリル、トップからのドリル、ボトムからのドリル、という感じで。そのあとはスパーリングで、もう最初に誰と誰と誰とやるって決められちゃうんですよ。それでずっと回していく感じでしたね。そのあとはポジションスパーで。で普通のクラスにも出ましたけど、そっちがすごい人数で。色帯はまんべんなくいましたけど、黒帯はブラジルと比べて少なかったですね。

マウントバーノン/デイジーフレッシュ

では最後にデイジーフレッシュですが、案の定宿を取らずに…あ、デイジーフレッシュは宿がいらないのか。

行く前にジムにいたアメリカ人の人にメール打ってもらってて、宿はいらないって回答はもらっていましたね。

今回は知り合いに頼ってい行ったわけでもないですもんね。

そうです、知り合いどころか日本人もいないし。アジア系アメリカ人はいましたけど、アジア人はいなかったですね。

ではアジア初だったかもしれないと。

日本人を見るのは初めてって言われましたね。まぁ田舎なんで、外国から来てわざわざ来るって人はそりゃあいないですよね。

なるほど、ちなみにジムに泊まってと言っていたと仰いましたが、デイジーフレッシュではみんながジムに泊まっているのでしょうか?

デイジーフレッシュの朝

いや、みんなじゃないですね。カウチとかアンドリューとか有名選手や初期メンバー6,7人は、取材を受けたおかげでお金が入って住む場所ができたみたいで別のところに住んでいましたね。で後から来たメンバー20人近くは車かジム内。あとは外の小屋みたいなところに住んでいる人もいましたね。

小屋ですか?

倉庫みたいなところです。そこは元々アンドリューが作って住んでいたみたいなんですけど、アンドリューが出たあとはそこにジョーダンってやつが住んでいました。小屋は二つあって、ジムを挟むように建っていたんですよ。もう一方にはCJマードックとケイトリンっていうめっちゃ強い夫婦が自分たちで建てて住んでいた小屋でしたね。でその弟や友だちはそこらの車の中で寝ていて、って感じでしたね。

ちなみに全員で何人ぐらいいたのでしょうか?

5,60人じゃないですかね?地元の人もいましたし。

一日の流れはどうでしたか?

朝はゆっくりなんですよ。開始が遅くて、月曜と水曜は12時からサブミッションレスリング。それが一時間半くらい。けっこうきつかったですね。レスリング式マット運動やって一分間ハンドファイトだけのレスリングの攻防。

レスリングの練習風景。サムネイルで担がれているのが坂野さん。

そのあとは元立ち形式でスパー。マットに4人入って、他20人くらいが壁ぞいで待って、一本取るかレスリングでいう2点が入ったら次の人が来るという形式で。固定の4人は2分半ずっと固定。終わったら4人がはけて、次の4人がすぐ入っての繰り返し。それが終わったら最後バックから1分のスパーリングを3本くらい。で、サーキットやって終わりみたいな。

夜は19時半からギの練習で。ギはテクニックをちょっとやってからスパーリングっていう流れだったんですけど、それも5人くらいでグループ作って4分元立ち。スタートはボトムのポジションからスタートで。例えば5人グループだったら一人が元立ち、あと4人がトップから。で、ポイントが入ったら終わり。抜けたらすぐ次の人が入ってくる。これを一人4分なんですけど、元立ちじゃない人は1分でポイントを取りにいかないといけないんで、ノンストップでしかけてくるんですよ。それをガードし続けて返したり。それが終わったら普通のスパーリングを6分とか。

元立ちスパー中の坂野さん(0:33:47~、1:23:55~)

火曜木曜は昼は打ち込みだけ。みんな好きなやつを好き勝手にやる感じで2時間くらい。終わったら夜ノーギ。内容は月曜水曜と同じ感じでしたね。

金土日は練習はなかったのでしょうか?

いや、やってはいるんですけど、そんな強度の高い練習でもなく、自由に、いわゆるフリーマットですね。でなんでそうなっているかと言うと、週末はフジBJJの大会に行くからです。選手かスタッフかで。だからみんな木曜日が終わったら、翌日金曜の朝に出発して会場に行って。会場も大きな会場で車で6〜10時間以上とかかかるんですよ。イリノイ州から、フロリダ州、テネシー州のナッシュビル、ケンタッキー州、いろんな方面に行きましたね。

マット設営中

大会運営の手伝いは、レフリー、ポイントキーパー、呼び出し係。自分は英語を話せなかったのでポイントキーパーをやっていましたね。英語話せなくても指のサインだけでわかるから。あとはマット整備や得点板作ったり。JBJJFの大会運営している人と全く同じような感じですね。で、ついでに試合もタダで出るっていう。

手伝いをしていたら試合はタダで出られたんですね。そこはちょっと違いますね。

そう、フジBJJの大会は良い意味でローカルで、ギの色指定はなかったし、試合前のギのチェックもゆるくて。でもシステムとかはよかったですね、完全デジタルで。すごいわかりやすくしてくれていました。体重測って入って試合できる状態っていうのもスマホで見れるし、次の試合が何番とかもわかるし、結果もすぐ反映されるし。あれはすごくいいなと思いました。

フジBJJでの試合時

そういうところでも日本との違いを感じて、なんて言うか、それ以外のところで全体的に仕組み化されていてビジネスにつなぐのがうまい感じがしました。そういう細かいローカルの大会を毎週毎週いろんなところでやっていて、毎回200人とか集まるんですよ。多い時はマット10マットとか作っていましたからね。少ない大会で4マットとか。それを毎週やっているわけだから。

ちなみに大会出場やスタッフの選択はフジ以外で考えたりはしなかったんですか?

レフリー系の人たちは行ってましたね。アーノルドクラシックっていうボディビルの大会あるじゃないですか。あれに並行して柔術の大会もやっていたんですよ。アーノルドエキスポっていう祭典だったか、もちろんボディビルとかフィジークの大会もあるんですけど、それの横とかで普通に柔術の大会とかをやってて。その会場でファンサービスとかサプリの試飲会とかもしていて。そういう組み方をしているから、日本では見られない光景ですごいなぁと。自分は行っていないから聞いた話でしかないんですけどね。

確かに日本と全然違いますね。

そもそも団体がめちゃくちゃあったんで。その中でもフジBJJはデイジーフレッシュのスタッフによくしてくれていたから、よく行っていたという感じですね。チームとの関係性がよかったというか。

選手としてはどれくらい大会に出ていたのでしょうか?

それはけっこう出ていましたね。フジBJJの大会は5,6大会。IBJJFはパンアメリカンだけでしたけど。

パンアメリカンでの試合
パンアメリカン試合会場

3ヶ月間だと、少なくとも2週間に一回出場していることになりますね。

あぁ、確かに。今考えると多いですね(笑)あとは大会じゃないですけど、CJマードリック夫婦がセミナーをやったときがあって、CJの弟とその友だちと一緒に車に乗せてもらって他のジムに行くことがありました。シカゴから10時間くらいかけて、ノースカロライナかサウスカロライナか忘れましたけど行って。3日間くらい滞在して、セミナーやクラスに出たり。あっちの人はやっぱりみんなでかいんですけど、そこの人もやっぱりでかくて。明らかにステロイドやっているような女性もいたし、なんなら公言している人もました。CJの奥さんもやっていたし。

なるほど、やはりあっちではステロイド使用は当たり前なのですね…。

そんな感じがしましたね。ブラジルの話に戻りますけどそれはブラジルでもそうで、例えばブラジルで泊まったミヤシタさんの家なんかは冷蔵庫に普通に注射が入っていて、これなに?って聞いたらステロイドって平然と答えられましたね。すごいカジュアルにシュッて打っていました。これコンペ練のやつみんなやってるよって言ってて。それはさすがにびっくりしましたね。

やはり勧められたりもしたのでしょうか?

そうですね、普段からお酒も煙草もたしなまないくらい体に悪いものはやりたくないと思っているので、もちろん試しにもやってないです。

それを聞いて安心しました(笑)

(笑)ただそういう話で言うと、どっかへセミナーに行ったとき、車の中でもらったマフィンを食べたらだんだんぐわんぐわんしてきて、上も下もわからなくなって、超気持ち悪くなったことがあって。その状態で、ジムに着いてスパーリングを始めたらめっちゃ集中できるようになっていたんですよ。で終わった瞬間また気持ち悪くなってフラフラしてトイレで吐いて。でまたスパーリング始まったらまた集中できて。あとは何かわからないけどみんなが言っていることがすごくわかるようになっていたんですよ。よく聞こえるようになって、英語なのにすごく理解できるようになっていたんですよね。なんだこれすげぇ、なんでこうなったんだろう……あ、あれかぁ!ってことはありましたね。

車内でもらったマフィン

なるほど、あれですか、そういうことですね。

あれはさすがに想定外でした。(笑)

確かにそれは予想できない(笑)では続いてデイジーフレッシュにいた人たちについて簡単に教えてください。

有名なところで、まずアンドリューから言うとスパーリング中にアニソンをめっちゃ流すんですよ(笑)ナルトとか、有名なアニソンをひたすら。これいいよねって言うとすごい喜んで、少年みたいなやつなんですけどスパーリングは竜巻みたいでした。もう何されているかわけがわからない。止まらない精密機械みたいでしたね。すさまじかったです。あとカウチは、あいさつする度に中指立ててきましたね(笑)よくおちょくられていました。まぁそういうキャラだったから。あとは白帯の子や青帯の子も多かったですね。

イゴール・タナベ選手との試合が記憶に新しいジェイコブ・カウチ

白帯や青帯が多いというのはブラジルのジムと対照的ですね。

そうなんですよ、トップ選手がめちゃくちゃ強いからそのイメージが強いんですけど、実は柔術始めたばかりの人、デイジーフレッシュに憧れて始めたような人が多くて、その層が一番多い。で、次に多いのがレスリングからの柔術転向組や長くデイジーフレッシュにいる古参の層。ここの層の人はめっちゃ強かったですね。転向組は当然レスリング力が高いし。ただ柔術的なレベルは自分と変わらなかったのでいい練習になりました。あとやばいのは本当にカウチとかアンドリューとかその辺ですね。

では割合的には白青5割、あとの3割くらいが転向組や古参、残りがめっちゃ強い人たちと。

そうですね、そんな感じです。残りの強い人たちはアンドリューやカウチ、小屋に住んでいるあCJマードックやケイトリンとか、その層です。

白青が一番多いというのは意外でした。その白、青帯層も住み込みでやっているということですよね。始めた時点から。

そうそう、どっかで元々やっていて憧れてくる人も多かったですね。だからけっこう教えてもいました。よく聞かれたんで。構成というか比率は意外と普通のジムと変わらなかったんですよね。

その中にはやめていく人もいたのでしょうか?

そうですね、憧れてくる人もいるんですけど、嫌になってやめていく人も何人も見ました。ほんと何人も。それはもちろん。あの生活だから(笑)白青だけじゃなく紫とかでも。自分の場合は逃げたくても逃げようがなかったので。

逃げたくはあったのですね(笑)

いやだって寒いし…英語も話せないし…練習つらいし…病気になるし…(笑)

でも航空券がすでに取っていた日の分しかなくて。逃げる方法がなかったんですよね。

病気…、海外での病気は大変ですね。

はい、ブドウ球菌(マットからの感染)、あとは免疫が低下して蜂窩織炎で足がめっちゃ腫れたっていうのがありましたね。ブドウ球菌は塗り薬で治って、蜂窩織炎は足が倍くらい腫れ上がって熱も出たので、お尻に抗生物質を三日間一本ずつ打ちました。アメリカで尻出して注射打たれるはめになるとは思わなかったです(笑)

周りのみんなもいいやつだったから、さすがにやばいから病院に連れて行ってくれって言ったら連れて行ってくれて。

ブドウ球菌感染

ちなみに保険は入っていましたか?

いや保険は入っていなかったんで、後々クレジットカードの請求見てうわってなりましたね(笑)

やはりジムの衛星面が問題だったのでしょうか?

まぁ映像では伝わっていないと思うんですけど、ジムは想像の10倍くらい汚くて、匂いも表現できない独特な匂いが漂っていたくらいなんで。あと練習中は人が多すぎて暑くて雲ができるんですよ。それでマットもビチョビチョになっていました。当番制で掃除もするんですけど、なんでお前やんねぇんだよみたいな言い合いにはやっぱりなっていましたね(笑)

なるほど、そうしたらみんな病気を経験するような環境で?

もちろんもちろん。

常に誰かが病気という状況で?

はい、年中無休でみんな病気になっていましたね。

そうしたら病気でいなくなる人もいたのでしょうか?

いや、いなかったんじゃないかな。病気になるまでやっているやつは大丈夫ですよ。普通のやつは病気になる前にいなくなるんで(笑)

著:中澤 朋子
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柔術が精神面に及ぼすプラスな影響についてつづられた書籍。PART5:現役柔術家インタビューで坂野さんのインタビューが掲載されています。


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この記事を書いた人

Yoshiのアバター Yoshi 筆者

ブラジリアン柔術歴6年。現在紫帯。
21歳のときに地元福井でブラジリアン柔術を始める。その後は国内外を転々とする中で各地のジムに所属し大会に出場。現在は東京を拠点に日本各地に赴き大会出場及び出稽古を重ねる。

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