井田黎さんインタビュー −中編−「置いていかれると思ってただ必死に食らいついていくだけだった。」

Yoshi

こんにちは、Yoshiです!

当ブログのコンセプトでもある 、“柔術と旅する”人に焦点を当てる取材企画・柔術旅人インタビュー。

第三回目は、昨年世界大会に挑戦後、クラウドファンディングで集めた資金でブラジルに渡り3ヶ月の柔術修行を敢行された井田黎さん@reijiujitsu0411)にお話をうかがいました。

今回は世界大会とブラジル修行時の生活や練習内容を掘り下げてうかがった[中編]です。ぜひ最後までご覧ください。

井田黎さんのプロフィール

柔術旅人:井田 黎

出身

大阪府

仕事

インパクト藤井寺 ヘッドインストラクター

所属

インパクト藤井寺

帯色

茶帯

柔術歴

4年

主な戦績

第24回全日本ブラジリアン柔術選手権
アダルト紫帯ライトフェザー級 準優勝
第23回回全日本ブラジリアン柔術選手権
アダルト青帯フェザー級 優勝

スポーツ歴

柔道

SNSアカウント

Instagram

柔術を始めて
良かったこと

試合に勝つために普段の生活から気をつけるようになり、健康的な生活を送れるようになったこと。

※2024年4月現在

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目次

世界大会を振り返って

初海外!一足早めの渡航でトラブルも

では次に、世界大会出場時のことについてうかがいたいと思います。まずアメリカへはいつ頃入国されたのでしょうか?

大会の一週間前ですね。ただ初日からトラブルがあって、僕アメリカの入国審査ひっかかったんですよ。たぶん変なこと英語で言っちゃったせいで5時間ぐらい閉じ込められて。それはなんとかなったんですけど、予約したホテルも全然違ってて。騙されたんですかね?なんか予約して送られてきたリンクの住所の通りに行ったら全然何もなくて。で、ホテルの名前を調べたらカナダのところが出てきて。それで違うところのホテル取り直しました、高かったですけど…。ホテルがないとわかった瞬間は今から一週間やばい!どうしよう!とめっちゃ焦りました(笑)

なるほど、渡航直後からトラブルに見舞われたわけですね(笑)

初海外だったんですけど、全然楽しくないやんって思いましたね(笑)

世界大会まではどのように過ごされていたのでしょうか?

コブンリンヤのジムがあって、そこに世界大会に出る人はみんな集まっていたんですよ、韓国の人とか。日本人は僕以外誰もいませんでしたけど。

コブリンヤ

たしかに日本人選手は大会直前に渡航していた記憶があります。数日前に渡航した理由はなんだったのでしょうか?

いや、特に理由はないんですけど、ライトフェザーまで落としたのが今までなかったから、渡航後体重調整がうまくいかないんじゃないかなとか思って余裕を持っていくことにしました。ただみんな試合前日とかに来てたんで、そこで自分だけ早く来すぎたことに気がつきました(笑)こんな早く来なくてよかったなって。

確かに大会出場された方はどちらかというと後半に余裕を持たせるスケジュールにしていた気がします(笑)ちなみに滞在期間はどれくらいだったのでしょうか?

1週間ぐらいでしたね。だから大会まではずっとコブリンヤのジムに通いました。で、最後4日間がワールドで、ワールドが終わったら即ブラジルに行きました。

では本当に他の人たちと真逆のスケジュール感だったわけですね。

ATOS、AOJの選手との試合へ

では続いて世界大会の感想を教えてください。

ライトフェザーでしたけど、とにかくめっちゃ力が強かったっですね。びっくりしました。本当に、こんな力強いんやと思って。感覚的にはもうライトとやっている感覚なんですよ。めっちゃ力強くて。グリップも全然切れないし、パスも片手で戻されるし。どうしようってなりましたね。

普段フェザーで試合をしていてもそう思うんですね…。

はい、僕が負けた試合の相手もめっちゃ力強くて、ベースもすごく強いんで全然倒れないし、本当に同じ体重なんかな? って思いました。

体格から違うような感じはありましたか?

わかんないですけど、ごっつくは見えましたね。まぁこれは試合あるあるなのかもしれないですけど。自分と同じくらいの体格でもごつく見えるっていう。

初戦はATOS、二回戦はAOJの選手と世界的に有名なジムの選手との試合でした。その感想を教えてください。

ATOSの人はそんなに強くなかったですね。ATOS Internationalとかだったので、たぶん本部じゃなかったんやと思います。何回か試合出てたので事前に試合見たんですけど一回戦負けが多かったです。大丈夫そうだなと思い臨みました。二回戦がやばかったですね。50/50に入れられてしまって。それで2-0で終わりでしたね。

ちなみにその人はそのまま優勝したのでしょうか?

いや、優勝していないです。次の次で負けていて、入賞すらしてないです。結局優勝した人はもう全然、誰?っていう人で。この人らはやばいっていう人、例えばブラジレイロ優勝した人とか、あとさっきのAOJの人もヨーロピアン準優勝だったので、その誰かが優勝するんかなと思ったらみんな負けてしまって。で、誰?って人が優勝っていう。ポイントもまったく持っていない人だったので。もしかしたらちょっと前まで青だったのかもしれないですけど。

やはり世界はレベルが違いますね…。大会の雰囲気はどうでしたか?

そうですね、まずこんなアウェーなんやなと。やっぱりすごいなと思って。めちゃくちゃ緊張しましたし、試合してる時はやっぱり声が全く聞こえてこないです。日本人の選手もセコンドしてくれているんですよ。めっちゃ大きい声で。でも全く聞こえなくて。もう海外の人の声ばっかり聞こえる。それで焦りましたね 。初戦も押してたんですけど、相手のチームの人があと2点で勝てる!とかめっちゃ言ってるの分かるから、焦ってしまって。押してるのになんか自分がやばいかなって気にさせられました。

遠征になるとどうしてもそういうのはありますよね。ただ日本人選手も一致団結をしているのが世界大会に出場した選手のSNSの投稿から感じられました。

トライフォース大阪の木村さんがまとめてくれて。みんなでセコンドやろう!という感じで。

普段は違うチームでありながら、世界では日本チームとして助け合う姿はSNS越しでも感銘を受けました。ちなみに日本人選手同士でずっと一緒に行動されていたのでしょうか。

いや会場だけでしたね。宿泊先も違かったので。毎日日本人一人は絶対出ていたので、会場には毎日応援に行きました。あと有名な選手の試合を見たり。僕AOJのタイナンがめっちゃ好きで。ずっと試合見てましたね。

ブラジル柔術修行の日々

半分庭?ニワトリが歩く先生の古巣へ

では続いてブラジル修行についてうかがいたと思います。ブラジルにはどのタイミングで渡られたのでしょうか?

4日目終わって、その足で飛行機乗りに行きましたね。でもなんか乗り継ぎミスって、メキシコかどっかで乗り継ぎやったんですけど、航空券が違うとか意味分からんこと言われて乗られなくなって、メキシコで10時間くらい待って。で向こうのミスだからお金は返してくれたんですけど、その10時間待ったのはしんどかったですね。やることないままボーっとしてました。

それは確かにしんどい…(笑)入国のときはトラブルに見舞われがちですね。そのあとブラジルに入国して、すぐに目的の道場に向かわれたのでしょうか?

いや、これもたまたまだったんですけど、ちょうどその頃チアゴ先生の子どもが産まれはったんですよ。それで子どもを親に見せに行くってことで先生が先にブラジルに来ていたんですよ。それでスケジュールも合ったんで、僕がブラジルに到着したらチアゴ先生が空港まで迎えに来てくれて、チアゴ先生のお父さんとお母さんの家で1週間ぐらい過ごしました。

その期間もどこかの道場には行かれたのでしょうか?

チアゴ先生が柔術始めた道場に 1 回練習行ったんですけど、すごい道場でした。なんかニワトリが歩いてたんですよ、道場の中に。

え?扉もないような道場だったということでしょうか?

いや扉はあるんですけど、なんか半分マットスペースで、半分は庭みたいになってて。マットスペースには天井があるんですけど、奥のその庭みたいなスペースには天井がなくて。多分そこで筋トレとかしていたんだと思います。あとそのときはノーギだったんですけど、先生含めてみんな裸で下着のパンツだけ履いていて。ラッシュガードも着ないから、僕とチアゴ先生だけちゃんとした格好みたいな。あんな道場は初めて見ました。けっこうめちゃくちゃな道場でしたね。

本場ブラジルにはそんな道場があるのですね…

そこめっちゃ汚いらしくて、日本人やったら絶対病気になるらしいんですよ。皮膚の病気は絶対確定みたいに言われてて、チアゴ先生の奥さんもそこで練習して皮膚の病気になったみたいで。それぐらい汚い道場だったんですよ。僕は奇跡的に病気にならなかったんですけど(笑)

それは確かに奇跡ですね(笑)先生やクラスはどうでしたか?

先生は強かったですね。あとは昼だったのでクラスもやってなくて、僕らが来るからって何人かだけ来てくれたんですけど、バケモンの強さじゃないというか、わりとやり合えましたね。あんまり日本と感覚変わらずにやれた感じはあります。ただちょっと力強いな、でかいなとは思いましたけど。なんか日本のでっかい人とやってる感覚でしたね。

“神の子”のいるサンパウロのジムへ

では続いて本命、メルキ・ガウヴァオンのジムでの生活について伺いたいと思います。まず、宿泊先はどうされましたか?

寮生活でした。チアゴ先生の家からは車で8時間ほど離れたところだったので、メルキ道場の横の寮みたいなところに入って暮らしました。普通のホテルみたいな感じで汚くはなかったんですけど、ベッドと椅子とキッチン以外は何もないし、僕以外誰もいなかったですね。本当はビジターで来た人を泊まらせてあげるために用意されたホステルという感じで、メルキ道場の他の選手たちは一部屋借りてみんなで住んでるみたいでした。その方が安いっぽくて。それは後で知りました(笑)

メルキ・ガウヴァオンとは、“神の子”ミカ・ガウヴァオンの実父。2023年1月に古巣であったファイトスポーツから離れ、サンパウロに新たな道場を設立。

先に知りたかった情報ですね(笑)ちなみにメルキの道場はきれいでしたか?

メルキの道場はめっちゃちゃんとしていてきれいでした。みんなちゃんと服も着ていますし、道場もきれいで。道着のルールもあって、白道着以外は着たらだめでラッシュガードは黒で統一でした。

そうなるとAOJと変わらないですね(笑)では続いてクラスについて教えてください。

クラスは朝と夜ありました。朝は6時から7時が初心者クラス、7時から8時がアドバンスクラスで2時間。それを月から土曜まで、ギとノーギを交互にやっていました。夜クラスは19時から20時がノーギ、20時から21時がギ。だからメルキの道場はギとノーギが半分半分といったところでしたね。内容的には日本の道場とあまり変わらなくて、ストレッチ、テクニックを3つほど、あとは限定スパーとスパーリングという感じです。ただ僕はコンペをメインに出ていたのでクラスはあまり出ていないです。

コンペティションはどういった内容だったのでしょうか。

コンペティションは午前中と午後にあって、午前は8時から12時、午後は15時から18時までコンペがありました。内容としては、まず朝は最初1時間ずっと打ち込み。1個の打ち込み5分やったら交代して5分、で次は左右反対で5分、みたいなのを何種類もやって1時間。次の1時間半が限定スパー。これがめちゃくちゃ長かったんですけど、その日決められたポジションがあって、それを5人一組でずっとやる感じです。デラヒーバならデラヒーバで1時間半、スパイダーならスパイダーで1時間半。で、ガードを解除したら終わり。

ポイントや一本を取るまでではないのですね。

ガードが解除されたらし切り直しなので超限定的でしたね。でそれが終わったら15〜20分休憩があって、最後にスパーリングを1時間やって終わり。昼のコンペティションは、朝と比べてスパーが少なめになるんですけど、限定はしっかり1時間半やって、朝とは違うシチュエーションで行いましたね。昼はほとんどノーギでした。朝はギとノーギで、レスリングの先生が来る時はレスリングといった感じです。

日によってやるメニューは変わらなかったのでしょうか?

ずっと同じメニューでした。質もすごいですけど何より量がいかついなと思いました。

やはり量なんですね…

そう思いました僕も。質をこだわってやることが大事だと思っていましたけど、量が大事ですね。これだけ量やったらそら強くなるわと身に染みました。あとブラジル行って思ったのはやっぱ限定スパーってめっちゃ大事なんやなと思いましたね。それまではあまり限定スパーやってきてなくて、どっちかというと普通のスパー中心だったので。

ちなみにそれだけの限定スパーをこなして、伸びた感覚というのはありましたか?

いやー、ブラジルにいたときはまったくわからなかったですけど、日本帰ってきてからやっと実感できました。ブラジルにいたころはそれこそただみんなに必死に食らいついていただけというか、ただ頑張って練習やり続けていたってだけで、みんな一緒に伸びていくから全然自分の位置が変わっていった感じはしなかったですね。あでも一般のクラスに出たときはちょっと伸びている実感が持てました。

一般のクラスは体力が残っているときに行かれていたような感じでしょうか?

そうですね、コンペで疲れ果ててるんでもう本当無理矢理出てるみたいな感じでしたけど。みんな朝昼のコンペやって一般のクラスも出るんで、また置いていかれると思って。みんな体力バケモンですよ。

ちなみに年齢はみんな同じぐらいだったのでしょうか?

いや僕よりみんな若かったですね。僕が一番上やったんちゃうかな。そんぐらいみんな若かったです。平均年齢は18、19くらいだと思います。めっちゃ強い子どもたちもいっぱいいて、一番小さい子で9歳とか10歳とか。その子らも普通にコンペに出ていましたからね。その子らはやばかったです。なんか12歳の黄色帯の子がいたんですけどめっちゃ強かったんですよ。僕より身長でかくて体重も重くて力もめっちゃ強くて。僕その子とめっちゃ激闘してました(笑)

12歳と!

12歳と(笑)10歳ぐらいの歳の差で。もう体が仕上がってるんですかね?僕よりみんなめちゃくちゃ力強いし、あと黒帯でも全然僕より年下なんで。まぁそんなのはメルキのところだけかもしれないですけど。そこにいたキッズたちはもう全員バケモノみたいな動きでしたね。

すごい世界ですね…

その子らはもうなんかインスタとかもフォロワーが 4万、5万はいて。SNSの方もちゃんとしてたんですよ。親がしてるんかもしれないですけど。ミカ(・ガウヴァオン)なんかは専属のマネージャーがいて、その人がSNS とか全部管理してましたね。コンペティションにもついてきてずっとミカが練習しているところを撮ってみたいな。キッズの中にもそういう子がもしかしたらいたかもしれないですね。

ミカ・ガウヴァオンは、ブラジルのアマゾナス州出身の柔術家。通称“神の子”。青帯取得後3年も経たない2021年に17歳で黒帯に昇格し、2022年にはIBJJF世界柔術選手権で優勝。その後禁止薬物の陽性反応が出たためタイトル剥奪。現在はグラップリングの試合にも積極的に参戦し数々のタイトルを獲得する。

世界トップの異次元ムーブ

ミカの話も出ましたが、他にも有名な選手が同じ場で練習していたのでしょうか?

ベイビーシャーク(ジオゴ・ヘイス)もいました。あとホカゲ(ファブリシオ・アンドレイ)も。

メルキ・ガウヴァオン(写真1枚目)、ミカ・ガウヴァオン(写真2枚目)、ベイビーシャーク(写真3枚目)、ホカゲ(写真4枚目)

すごいメンツですね(笑)

今考えるとすごいですよね(笑)コンペでは最初にメルキがグループ作るんですけど、なんかたまに僕ミカのとこに入れられてましたね。ただボコボコにされるだけみたいな。めっちゃ辛かったです。

では続いて選手たちの印象を教えてください。

まず、みんなめっちゃ優しかったです。ミカも優しかったですし、あとはホカゲがめちゃくちゃ優しかったですね。僕が初めて会ったとき、お腹空いてる?って声かけてくれて、ご飯まで買ってきてくれて。困ったら何でも言って!って言ってくれました。ホカゲは途中でジム変わったからそれ以降は会えてないですけど、いつか日本来たいとも言っていましたね。

ホカゲとの2ショット

そこまで気を遣ってくれるとは。本当に優しいですね

そうですね。ただミカやホカゲはスパーになるとちょっとレベルが違いすぎて、もうこれには絶対勝てんなと思わされました。まずミカなんですけど、あるとき柔道したんですよ。僕が柔道やってるっていう話になって、そしたら柔道で勝負しようって言われて。ミカはそのとき柔道初めてやるって言ってたんですけど、普通に負けました。ぶん投げられて。

神の子、ミカ・ガウヴァオンとの四つ組み。

初めての柔道で歴10年の柔道家を投げるとは…

なんかもう体がおかしくて。絶対倒れるやろってところで倒れへんし、足かけてもうほぼほぼ倒れてるはずなんですけど、空中でヒュッて戻ったりとかしましたからね。

もはや想像しがたいです…

ミカの試合見たらちょっとエグいじゃないですか? あの感じなんですよほんまに。絶対勝てへんなと思いました。だから岩本選手とミカのこの前のグラップリングの試合を見てすごいって思いました。僕のイメージだったらもうミカが勝つイメージしかないんで、正直瞬殺やろうなと思ったんですけど、全部逃げてたじゃないですか。三角とかも。もう僕ミカの三角とか想像したくないですもんね。死ぬんちゃう思いましたもん。あれエスケープしてたんで、本当すごいと思いました。

ミカ・ガウヴァオン VS 岩本健汰

他の選手もそのような、いわゆる“ヤバさ”があったのでしょうか?

ホカゲもやばかったですね。めっちゃゆっくり相手してくれてたんですけど、それでも止められないというか。ニースライスが来るっていうのはわかるんですけど、止められない。球体が迫って来るみたいな印象を受けたんですけど、とにかく体をめっちゃ小さくするんですよ。それでニーシールドもフレームも入らない。感覚的にはもう押すとこがない。引っかかるとこがないみたいな。それがすごかったですね。体が柔らかかったらこんなことまでできるんやと思って。あと力もめちゃくちゃ強くて、アンクルピックでぶっ飛ばされましたね(笑)足なくなるんか思いましたよ。

もはや普通の技の威力が違うのですね…。

そうですね、ただベイビーシャークが一番そのヤバい感じがなかったです。絶対勝てない感じまではないというか。でもなんか負けてる、みたいな感じでしたね。なんかバック取られてるし、なんか良いポジション取られてる。ミカとかみたいにもう無理って感じではないんですけど、なんか勝てない、って感じでした。

ちなみに選手同士のスパーは見られましたか?

選手同士でスパーをしているのはあんまり見たことないですね。でもホカゲとベイビーシャークがやってるのは見ました。ホカゲがベイビーシャークをボコボコにしていましたけど…。でもミカが他の選手とやっているのは見なかったです。僕が行った時期にちょうど膝怪我してたこともあったんで、もしかしたらそれを考えて強い人同士でやってなかったんかもしれないですね。

ブラジル人の生命力の強さ

アマゾン熱帯雨林地帯のほぼ中央に位置するマナウス。神の子ミカの出生地。

そのようなヤバさというか強さは、他の人からも感じられるものだったのでしょうか?

そんなヤバさを他の人から感じることはなかったですけど、ブラジル人の生命力の強さというか、そういうのは感じました。ミカの地元マナウスにメルキのジムの支部があるんですけど、試合が近くなるとマナウスの強いやつが全員サンパウロに来て合同練習するんですよ。マナウスのジムの先生とメルキが指揮とって。その合同練習で来るマナウスの人たちはまさにアマゾンの人って感じがしましたね。何でしょう。顔がもうなんか民族というか。

グラップラー刃牙のズールみたいな?

野生的な身体能力と闘争本能全開のファイトスタイルで主人公刃牙を追い込んだアマゾン生まれのファイター、ズール
グラップラー刃牙 26巻

そうですそうです。あの生命力強い感じ。一般クラスに出ているサンパウロの人たちとは顔が全然違いましたね。本当にそれこそズールみたいな。本当にあの感じです。ああいうのがめっちゃいる感じでした。

それはおそろしいですね…。というか刃牙のズールはかなり再現度が高いのですね。

めちゃくちゃ高いと思います。動きもあんな感じです。まずテンションからめっちゃおかしいです。まさに今から狩りに出るぞみたいな。スパーリング中もハイテンション。楽しみながらやってましたけどね、めちゃくちゃガチで。休憩中には口論になってたりしてましたからね。さっきのはスイープや、いやスイープじゃない、みたいな。練習ではなくて本当に試合している感覚でした。限定スパーも含めて。なんなら僕1回コンクリートに投げられましたからね。

……!!

タックル入られて、切って、でマットのきわだったので止まるかと思ったら止まらなくて。でそのままもう一回タックル来られてコンクリートに投げられました。でも試合やったら確かに止まらないじゃないですか?だから本当に試合でしたねやっていることは。そんなことがめっちゃありました。でなぜか僕だけ怪我するみたいな。そんなことの繰り返しでしたね。

それはかなりしんどい日々ですね…。

そうですね、そういう感じだったので、僕怪我もけっこう多くて…。でも他のみんなは怪我しなくて、僕だけが怪我していくんですよ。疲労がたまっていってか、肘、指、腰とどんどん怪我していって。2週間に1回ぐらい怪我して3日ぐらい練習できなくなって、で復帰したらまた怪我して。でまた3日休んでみたいなのが続きました。でもみんなは怪我せずに平気でやっているんですよね。生物的にもうなんか違うというか。体頑丈なんかなって思いました。本当に自分一人だけが怪我してて。なんでそうなるんかは本当謎だったんですよね。

修行の日々を振り返って

日本人に優しいブラジル人

では、ブラジル修行を振り返って、印象に残っていることをおしえてください。

ブラジル人は日本人すごい好きなんだなと思いました。僕が初めて行ったときは囲まれてわからんのに一生ポルトガル語で話されましたから(笑)アメリカはそうでもなくて、優しいけど普通。あ、なんか来たな、くらいの感じでしたね。僕そんな英語得意じゃないからペア組もうと思っても余ったりしましたけど、ブラジルでは一番最初に捕まえにきてくれました。

それは確かに日本愛を感じられます(笑)他に日本人、アジア人はいましたか?

日本人いました。一人だけ。ブラジルに出張で来てはって、コンペではなく一般クラスに出ていましたけど。日本語話したときはもうめっちゃ安心しました。その人はポルトガル語もわかるんでだいぶ安心しました。心強かったです。困ったときその人に聞けたりしたので。あと、他のところから修行で来ている人はほぼいなかったですけど、韓国人は一人いました。その人はめっちゃ強かったです。

有名な選手だったのでしょうか?

紫帯ルースター級でムンジアル優勝していた人で。名前分からなかったんですけど、その人は一週間だけ寮に一緒に入っていましたね。僕と同じで世界大会のついでで来てたんやと思います。めっちゃ強かったですね。ルースターなんでスイープとかはされないんですけど、パスできる気は一ミリもしなかったです。でもアジア人同士やったからかスパーはお互い優しい感じになりました。

僕もニュージーランドにいたことがあるのでわかるんですけど、アジア人というだけでシンパシーがわきますよね。

そうなんですよ、同じ顔っていうので(笑)だからコンペティションで2人で組もうと思うじゃないですか?でも組むなって言われて。どっちもポルトガル語わからへんのに組んでどうすんねんって。悲しかったです(笑)

せっかく見つけた仲間と引きはがされたわけですね(笑)

日本の“当たり前”に対する感謝

他にブラジル修行の日々を通して感じたことはありますか?

一番は何でしょう、これは帰ってきてから思ったことなんですけど、家族のありがたみを知りました。1ヶ月一人でずっと違う国でおったんで、帰ってきてこう、家に人がいること、日本語が話せること、当たり前にご飯が出てくるっていうことがもう感謝しかなかったですね。何でしょうね。本当に、日本語を話せるのが嬉しかったです。別に日本語話せないのが辛いわけではなかったですけど、やっぱり日本語しゃべりたいですね。

海外に長期滞在したからこその感想ですね。私も同じように思ったことがあります。日本での日常が当たり前のものではないことに気がつけますよね。

そうですね。あとはやっぱり日本の便利さも知りました。ほんと便利やなと。電車とかも時間通りに来るし。ブラジルの電車は本当にひどかったので。時刻表はありますけどわからないですし、何がどの電車もわからなかったので。あと日本ではビクビクして歩かなくていいのがいいですよね。海外はビクついて歩かないといけないので…。そういう日本で当たり前のことに感謝できるようになったので、やっぱり海外に行ってよかったなとは思いますね。

ミカからのBBQの誘いを断った休日

ミカからの不在着信

休日をどう過ごされていたのかも伺いたいのですが、いつがお休みだったのでしょうか?

日曜が休みでした。でも今のうちに癒さないとまた明日から始まると思ってずっと寝ていました。楽しむ余裕はなかったです。観光とかはせず本当練習しかしてなかったですね。練習してスーパー行ってっていう日々で。最後の方はジム行って筋トレとかし出しましたけど、行動範囲はそこだけですね。一度みんなでバーベキューやろうってミカから電話がかかってきたことがあったんですけど、今しんどいから無理って言って断って。あの電話はこわかったですね(笑)

みんな同じ条件でやっているのに、コンペ後はクラスに出て、休みは遊んでいたりするんですね…

そうなんですよ、元気すぎると思って。でもチアゴ先生はそれを4ヶ月ぐらい続けたら慣れてくるとは言ってました。最初はめっちゃしんどいけど、慣れてなんかできていくようになるらしいです。ほんまかなと思いましたけど。ただ僕の場合はやっぱり怪我が多すぎて無理でしたね。それで早めに帰国することにしたので。

ブラジル修行を終えて

今後のことを考えると賢明な判断だったかもしれません。もっと長くいたいという気持ちはありましたか?

そうですね、でもやっぱり怪我は大きかったですね。足の親指が痛すぎて歩けなくなりかけて。肘もやばくて。さすがにもう無理やなってなりました。それでメンタル的にも結構しんどくなってきて。誰か友達がおったら大丈夫だったかもしれないですけど、寮には僕1人やったんで、帰ったらもうずっと無音の空間で一人で落ち込んでるみたいな感じで。その時は誰かと一緒に来たらよかったと思いましたね。一人は一人で楽かなと思っていたんですけど、これに関しては誰かおらんなもうメンタルがダメだなと思って。本当に柔術やめたくなりましたね。しんどいと思って。正直何で来たんやろうと思いながら練習していた時期もありました。

そのような環境ではそう思うのも無理はない気がします。怪我で帰国後、すぐに全日本選手権がありましたが、心身ともに回復はできていたのでしょうか?

そうですね。なんとか。あと全日本の前に一つ試合に出たんですよ。それで自分が強くなっていることも確認できたのでよかったです。それで負けてたら柔術続けるモチベーションが保てていなかったかもしれません。

帰国後初の大会で優勝

成長の実感を持つ余裕すらない過酷な環境から離れ、そしてやっと自分の成長を感じられたからこそ精神的にも回復できたわけですね。

そう思います。あと滞在中はそんなこと考える余裕すらなかったんですけど、今思うと僕めっちゃ軽かったんですよ。僕より軽い人本当にいなくて。青帯やったらもうライトとかミドルが平均の階級なんでそれはやられるのも当然だし、体重差もあったんかなとは思いますけど、向こうの人たちは僕が階級下だからって力抜くことは一切なかったんで。それは怪我する確率高いなと思いますね、今思えば。

なるほど、そうなると修行するジム選びも大事ですね。特に長く滞在するのであれば。

そうですね、アメリカですけどAOJとかはどっちかというと軽量が強いイメージがありますし、軽量級ならAOJとかが理想なんかなと。今になって考えれば。

聞いていなかったのですが、メルキの道場を選んだ理由は何だったのでしょうか?

いろんな人に聞いたんですけど、今一番賢くやっていて、その結果いっぱい強い選手を出しているのはメルキの道場ってみんなが言っていて。チアゴ先生とか他の道場の先生とかもやっぱり一番はそこちゃうって言っていたので。あと同じライトフェザーのトップ選手ベイビーシャークがいたこともありましたし。ドリームアートとも悩んだんですけど、ドリームアートはやっぱり大きい人が多いイメージですし、それにメルキのジムは選手と一般の会員どちらのことも本当に考えている道場で。それに感銘を受けました。だから日本に帰ったらこんな道場をやりたいって思えたんで、メルキのジムに行ってよかったなと思います。


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この記事を書いた人

Yoshiのアバター Yoshi 筆者

ブラジリアン柔術歴7年。現在茶帯。
21歳のときに地元福井でブラジリアン柔術を始める。その後は国内外を転々とする中で各地のジムに所属し大会に出場。現在は関西を拠点に日本各地に赴き大会出場及び出稽古を重ねる。

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